ご覧いただき,ありがとうございます。 欧米では“女神と氷の柱”,日本では絶望的な暗さと称される,ドイツ生まれのファム・ファタール,ニコのソロ第1作目と4作目です。それぞれ限定180㌘盤となります。 いずれも名盤で代表作品とされています。 R・ストーンズの旧メンバーで愛人のブライアン・ジョーンズの紹介でヴェルヴェット・アンダーグラウンドに加入し,次いでボブ・ディランの押しで製作されたのが『チェルシー・ガール』です。 そのため,ディラン提供の"Ill Keep It With Mine“をB面2曲目に配置。ヴェルヴェッツとの繋がりで,ルー・リードがA面3曲目Little Sister▼タイトル曲▼It Was A Pleasure Then(A5)▼Wrap Your Troubles In Dreams“(B4)を,ジャクソン・ブラウンが計3曲(A1・A2・B3),同様にジョン・ケールが” Winter Song”(A4),さらに,ティム・ハーディンの作品でアルバムを締め括っています。SSWが多く携わり,フォーキーな仕上がりです。 67年に知り合ったドアーズのジム・モリソンから「自分で曲を作ってみないか」と促され,彼の死後,その思いが結実し、モリソンをリスペクトした,ドアーズの名曲“ジ・エンド”をタイトルとした作品が誕生しました。 “ジ・エンド”以外はニコの作品と生誕のドイツのトラッド曲“ Das Lied Der Deutschen” (=ドイツ人の歌)でアルバムは構成されています。 デビュー前は,178㌢の身長を活かし,モデルとして活躍。仏俳優アラン・ドロンの愛人となり,一人息子を出産。ニコとの名前はギリシャの映画監督に因んで名づけられました。ジミー・ペイジのプロデュースでシングル盤発表後,B.ジョーンズとの間で妊娠しましたが,結局は,堕胎しました。 恋多き女性でしたが、70年代中期,ヘロイン中毒となり,更生と休暇を兼ね,1988年7月,スペインのイビサ島へ赴き,A.ドロンとの息子アリと過ごしていましたが,自転車から転落し意識不明の重体。同年7月18日,帰らぬ人となりました。50歳でした。遺骨はベルリンの森林墓地、グリューネヴァルトにある母親の墓地に埋葬されています。 よろしくお願いします。